大工工務店として創業し、東京・東村山市を拠点に、『地域工務店だからできる、人と人、人とまちが「つながる」暮らし』を実現するために、永く住み続けられる住まいを手掛ける相羽建設株式会社。家づくりだけでなく、ドミノ工法、家具、施設の3つのFCを展開して全国各地にノウハウを提供し、加盟店は延べ180社にものぼる。今回は、代表取締役・相羽健太郎氏にインタビューを実施。全3回でご紹介する。Vol.1は同社のB to Bビジネスの中核を担うFC(フランチャイズ)をスタートした経緯と営業外収益の重要性について、Vol.2は同氏社長就任後の経営理念再定義からの地場工務店としての選択、商圏の集中とポートフォリオの拡大、そしてオーナーへの対峙をする決断について、Vol.3は、第2創業期を迎えてこれからの10年を見据えた職人育成の仕組み、デジタルの活用と今後の展望について、それぞれ深掘りしていく。
大手ハウスメーカーの営業を経て、大工工務店だった家業へ
同社は、現会長である相羽正氏が新潟から上京して大工の棟梁をしていた叔父に弟子入りし、10年間の修行の後に独立して、1971年に創業した。東村山市を拠点に地縁ゼロの状態から大工工務店としてスタートし、1992年、太陽熱エネルギーにより家を暖めるという環境に優しいシステムに共感し、翌年には1棟目のOMソーラーハウスを建設。環境に優しい家づくりを手掛けてきた。
二代目となる現代表取締役・相羽健太郎氏は、元々建築系を志していたわけではなく、大学では文系を専攻し、卒業後は大手ハウスメーカーに入社。営業として2年間経験を積んだ後、家業に入ることとなった。
相羽氏: 私が入社する前は、営業から工事まで全て一貫して担当する大工工務店らしい体制でやっていました。入社後、右も左もわからない状態でいきなり営業リーダーになり、前職では受注までの営業業務までしか経験がなかったので、セクション分けをすることに。何もわからない状態からでしたので、周囲の力を借りながら1〜2年はやっていました。
相羽健太郎氏 相羽建設株式会社 代表取締役
前提を疑いつくり上げた木造ドミノ住宅
試行錯誤しながら営業として奔走するなかで、規格住宅である木造ドミノ住宅の開発のきっかけとなる東京都で低コスト高性能な家づくりをテーマとしたプロポーザルコンペ(東村山市本町地区プロジェクト)への挑戦が、同社の運命を大きく変えることとなる。その開発には統括を建築家の野沢正光氏、意匠設計を建築家の半田雅俊氏、構造設計を構造家の山辺豊彦氏、温熱計画の助言を建築家の西方里見氏という、その道の第一人者が集まり、施工性改善を同社が請け負うことになったのだ。
旧住宅金融公庫の案件でも通常は坪単価70〜80万円程度であるのに対して、この案件においては東京都の入札条件が坪単価50万円以下だった。当時、同社は素材にこだわった環境に優しい家づくりを強みとしており、坪単価70〜80万円の家づくりをしていたので、同社の従来のやり方のなかでコストダウンを図るも、60万円までしか落とすことができなかった。
相羽氏: 先代からは、「多少赤字になってでも、会社の目の前の立地で広告効果は大きいからやるべきだ」と言われました。20〜30万円の乖離分コストダウンしなければならないものの、職人単価には一切触るなとも言われて、坪50万円で十分利益が出るようにするためにはどうしたらいいか途方に暮れましたね。そこで、大学の教授にも相談しながら、手数を減らす方法を探りました。ストップウォッチで職人が何にどのくらいの時間がかかるのかを計ってみると、荷物を運んでいる時間と、図面を見ている時間が多いことがわかり、そこの工数をできるだけ減らすことに注力しました。
運搬に関しては、都度搬入していた部材は一度に搬入し、2階部分に搬入して上から下に下ろす運用に。構造の部分はハコをつくる感覚で図面を見ずに仕事ができるよう規格化を行った。職人とも現場が終わった後の遅い時間から日付が変わるまで、何度も議論を重ねた。
相羽氏: 例えば、電気工事は全部配線を隠蔽するとなると、大工がボードを張ってくれなければ次の仕事ができないから時間がかかる。1棟の完成までに現場の進捗に合わせて配線をしに何度も現場に入らなければならない。そこで、配線を外に出して一回現場に入って作業が完了できるようにすれば、工程に左右されなくなるわけですよ。そうすると現場に入る回数が減るので、電気屋さんの手間に対しての見積りは叩くことなく、極端に言えば今までの見積りの半額でお願いができるようになる。
配線を外に出すことになると、「ただ長押(なげし)にあらかじめボックスをつくるだけだと不格好だ」と大工から意見が出てくる。今度はどうしたらデザイン性を損なわずにつくれるかということに知恵を絞るわけですよ。建築家の野沢正光さん含めて関係者でひたすらこうした議論をし続けました。
さまざまな工種の職人と議論を共にしたからこそ、企画の人間だけではたどり着かない新たな方法を見いだすことができた。坪単価50万円以内になるように関係者一丸となり試行錯誤を繰り返した結果、全25棟が高倍率の抽選で完売できました。
「ドミノ」の名前は「ドム=家」と「イノ=新しい、革新的な」が組み合わせられたもので、ル・コルビュジエの創った言葉。構造がシンプルなので、ライフスタイルや家族の変化に合わせて間取りを自由に変えることが可能だ。
相羽氏: 現場至上主義なので、まず現場に意見を求めるようにしました。職人は有言実行で言葉の責任感が強いので、「相羽がこう言ってるからやってみよう」と、先代の人間力にも共感して協力してくれました。建築は基本的に積み上げの考え方をしますが、この案件ではその前提を覆して坪単価というゴールから引き算をしていったことが成功の大きな要因だったと思います。結果的には、この木造ドミノ住宅は当社のひとつのブランドになりました。苦悩の連続ではありましたが、その後には大きなおまけがくっついてきましたね。デスクの上で考えているだけでは絶対にたどり着けなかったので、職人との議論を重ねた結果導き出せた規格住宅だと思います。
こういうモノのつくり方や連携の仕方は、今にも繋がっていると感じています。現在も、ANDPAD含め何か新しい仕組みを入れる時は意識して、なるべくあるべき論のなかで逆算して、理想論を言い続けるようにしています。
「ドミノ工法」をFC化し、営業外収益の基盤を構築
このプロジェクトを通して「木造ドミノ住宅」という商品が生まれ、同社の強みとなった。この「ドミノ工法」はFCとして事業化し、全国の工務店にノウハウを提供している。何故、FC化に踏み切ったのだろうか。
相羽氏: 先代は商品開発の利益を自分たちだけで独占するものではなく、ノウハウ提供、技術提供を通してブラッシュアップし業界貢献であり、更なる質の向上を目指して、FC化しました。業界に対しての恩返しという意味合いもあります。損はしないようにしたいが、儲けることが最も大切な訳ではない。当社が地域工務店として、ローカルとグローバルをどう両立していくかと考えた時に、海外に進出するつもりはないものの国内でもっと広くやってみたいと思ったことも、FC事業をスタートする理由となりました。
そこで気づいたのが、営業外収益の重要性。われわれ工務店のビジネスモデルであるB to Cの場合、前年通りの売上になるかの保証はありません。FCのように会費で年間の売上見込みが立つB to Bのビジネスで固定費を賄えれば、安定収入で社員の雇用を守ることができる。現在、当社ではこのドミノ工法と、家具、木造施設の3つのFCを展開し、住宅事業以外の固定収入となっています。現在は延べ180社に加盟していただいていて、今後も維持していきたいと考えています。
従来の積み上げ式のやり方ではなく、ゴールを決めた上で逆算していくことでコストの問題をクリアするドミノ工法を生み出した同社。職人と議論を重ね、現場の着想から常識を超えた規格化を創り出し、新しい価値を創造したところは、まさに現場至上主義な相羽建設の社風ならではだ。そしてB to Bビジネスによる営業外収益を得る仕組みを構築したことで経営が安定化し、同社の地域工務店としての成長にも繋がっている。
Vol.2では、相羽氏が代表取締役就任後、ビジョンを策定して会社として進化を遂げる1.5創業期の取り組みについて迫る。
URL | https://aibaeco.co.jp |
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代表者 | 代表取締役 相羽健太郎 |
創業 | 1971年1月 |
所在地 | 〒189-0014 東京都東村山市本町2-22-11 |