「大工の会社」であることをアイデンティティに、確かな技術力を武器に意匠性の高い建築を手がける株式会社丸正渡邊工務所。地元である山梨県甲府市の風土に根付いた地域工務店として、新築、リフォーム、商業施設など幅広く事業を展開している。
同社が掲げる「六方よし」の考えに基づき、買い手・売り手・世間・造り手・地球・未来を守るサステナビリティ経営を受け継ぐのが4代目代表取締役社長の渡邊正博さんだ。代々と事業ピボットを重ねてたどり着いた現在地において、変わること・変わらないことをどう捉えて進んでいくのか。大工が主役の工務店であり続けながらも、経営の持続性を見据えたシフトチェンジを目指す丸正渡邊工務所の取り組みについて聞いた。
山梨を拠点に意匠性高い施工を手がける丸正渡邊工務所
代を超えて永く住み継がれる「ずっと心地よい家」を目指し、山梨を拠点とした大工集団を擁する丸正渡邊工務所。意匠性と高い性能を両立する施工は高く評価され、同工務店が手掛ける一軒家の蔵屋敷evam eva yamanashi(山梨県中央市)は2017年度建築文化奨励賞受賞を受賞するなどの実績を積まれている。大正後期の創業から令和まで、常に大工が主役の職人集団の変遷について4代目の渡邊正博さんは語る。
渡邊さん: 私たち丸正渡邊工務所は、大正後期から4代にわたり大工の会社として歩んできました。初代は東京で現清水建設などの名義人として活動する大工として、二代目も山梨で大工業を営み、先代である三代目より、ゼネコンとの関係を強化するべく野丁場仕事を中心に事業を展開してきました。木造建築の根幹、また木造以外の中・大規模建築における木の内外装工事を一手に担うのが大工の仕事。“大工集団”であることを強みに、新築・リフォーム・商業施設まで広く手がけることで仕事の安定性を担保しながら今に至ります。
代々受け継がれてきた“大工の姿”を守るべく家業を継承
山梨で生まれ育ち、大学進学とともに上京した渡邊さん。卒業後は新卒で藤田観光株式会社に入社しホテルマネジメントに従事しながら順調にキャリアを重ねた。その後、社会人11年目で山梨へUターンし、家業である丸正渡邊工務所に入社。畑違いの工務店に飛び込むこととなったきっかけはどのようなものだったのか。
渡邊さん: 私自身、もともとは丸正渡邊工務所を継ぐつもりはなく、先代である父からも「(大変だから)継がなくていい」と言われていました。ですが、父も還暦を過ぎてこの先のことを考えたのでしょうか。あるとき「うちで働かないか」と声をかけられたのです。なんの前触れもなかったのですが、それまでも会社をどうするのか父と話はしていたので、ちょっとずつ刷り込まれていたのかもしれませんね(笑)。藤田観光を退職してから、2年間は東京の専門学校で建築を学び、2012年に同社に入社しました。
畑違いへのキャリアチェンジではありますが、社会人としての私の基礎は、大学卒業から11年努めたホテルにあります。フロントマン、マーケティング、セールス、広報、イベント企画、新規事業開発などさまざまな業務に携わりましたが、そこではすべての根底に「お客様に喜んでいただく」という強い気持ちがありました。どんな仕事でもお客様の満足は大切ですが、その最たる場所であるホテルを経験したことは、建築業に身を置くことになった今、とても大きな糧になっています。
一度は「継がなくていい」と言われ、同社をたたむ選択肢もあり得たかもしれないなかで、なぜ3代目の父は息子である渡邊さんに事業を継ぎ会社を存続させたいと考えたのか。その背景を紐解いていくなかで浮かび上がったのは、幼い頃から当たり前のように見てきた、自宅兼作業場で祖父や父と一緒に仕事をしてきた大工が働く「原風景」だった。
渡邊さん: 先代の頃よりお付き合いのあるゼネコンのお客様も多く、かなりの割合で当社に木工事を任せていただいたり、リピートしてくださっていました。そういったお客様との結びつきを断ちたくないという思いもありました。私が生まれ育った実家は2階に自宅があって1階が大工さんたちの作業場になっていたんです。子供の頃は大工さんが加工している音を聞きながら学校に通っていました。幼いころからずっと見てきた、大工さんたちがこの場所で働く風景を守らなければという想いに背中を押され、継承へと気持ちが動きました。
まったくの未経験から建築の世界へ飛び込み12年、代表として経営にあたってから7年が経っているという。入社から現在に至るまで、経営面や心境などにおいてどのようなターニングポイントがあったのだろうか。
渡邊さん: 入社して改めて過去の決算の数字を見ましたが、やはり波がありPLベースでも厳しい年が何年かに一度はありました。資金繰りの大変さ、長く既存取引先に依存する形で野丁場仕事を請け負っていたという下請けの不安定さを痛感しましたね。またそういった野丁場仕事を担当していた社員の高齢化、引退などといった社内の事情もあり、今後を見据えて安定的に受注のコントロールができる元請けでの住宅・店舗づくりにシフトしていかないといけないと思いました。
不安定な下請けから経営を安定させるための元請けへ。経営を逆転させようと自ら開拓をしていったという渡邊さん。どのようにして事業を展開させていったのか。
渡邊さん: まさに、人の縁に助けられて仕事を得ました。藤田観光時代の先輩が建築関係の会社を営んでおり、退職の挨拶をしたときに「うちで日本の総代理店をやっているポーターズペイントの代理店になって設計事務所をまわって大工工務店だという話をすれば、きっと建築の仕事が入ってくるよ」とアドバイスをいただいたのです。その通りに白地でテレアポ営業をしたところ、建築の仕事をいただくことができました。
先輩からの助言を得て、山梨では競合のいなかったポーターズペイントの代理店となった同社。順調に事業を展開し、徐々に元請けとして建築の仕事を受ける比率が広がっていった。現在(2023年度)の売上実績では、元請け仕事が75%、下請け仕事が25%と、元請けとして受注する案件が上回っている。
渡邊さん: ゼネコンさんから依頼いただく案件は、下請けとして現場に入ります。その一方で、お施主様から直接依頼いただく住宅の案件や、設計事務所さん経由での案件は、元請けとして請負契約を交わします。こうした整理での「元請け・下請け」の案件比率は、半々くらいが理想だと考えています。どちらに偏り過ぎてもそれはそれで経営上のリスクが大きくなってしまうので、中間くらいの比率を保っていくのがベストです。
ゼネコン案件は、RC造でも鉄骨造でも内部造作で木工事が発生するものは何でもやります。今は大規模建築を手掛けられる大工は本当に人手が足りず、大工単価も上がってきています。それほどまでに大工不足が顕著であることは、社員大工を抱えている当社の差別化が一層図れるという意味で追い風と感じています。一方で、大工の単価が過度に高くなると、どうしてもVE(バリューエンジニアリング)の段階で木工事が減らされてしまいがちなんです。大工単価が高ければ高いほど、「木工事を減らせば効率的にコストカットできる」という設計側の意思決定を助長することになってしまい、自社の首を絞めてしまいます。単純に単価を上げればいいのではなく、長期的な目線も持ち、バランスを取りながらやるべきだというのは強く感じています。
2018年には建築家・伊礼智氏らとの協働プロジェクトであるモデルハウスを建てる際にホームページのリニューアルを行い、事業ミッションを策定。「造る、建てるを通じて六方よしの実現に貢献する」というミッションを掲げた。自社利益の最大化にとらわれるのではなく、経営の維持・継続に重きを置くベースには、同工務所が大事にする「六方よし」の考え方があるという。
「六方よし」の考え方に基づくサステナビリティ経営
「六方よし」とは「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の「三方よし」に、「作り手よし、地球よし、未来よし」を加えた新たな経営理念だ。特に、建築の造り手が育ち、働きがいある環境を守ることは4代続く大工の会社である丸正渡邊工務所のアイデンティティともいえる部分だろう。そんな同工務所が目指すのは「ずっと心地よい暮らし」であり、愛着を持って永く住み続けるための家づくりだ。なかでも、伊礼智氏が手がけた住宅をブラッシュアップしたモデルハウス「i-works 5.0」の施工を手がけるのは山梨では同社が唯一。意匠性の高い住宅を求めるお客様から、価値ある住まいとして選ばれている。
渡邊さん: 新築住宅をお考えのお客様から、「山梨 伊礼智」の検索ワードで自社サイトを訪れていただくケースも多くあります。伊礼さんのモデルハウスでは定期的に見学会を開催して、お客様から家づくりのご相談を承っています。最近は、都会から離れて田舎で暮らしたいという移住者も増えていますが、それが何年も続いているわけではありません。私としては単なるトレンドは追わなくていいと割り切っています。トレンドや外部環境に合わせるより、丸正渡邊工務所としての“中核”をつくっていく。ただ家を建てればいいのではなく、そこに共感してくれたお客様ご自身、ご家族、従業員などの、夢や希望を叶えたいという想いに真摯に向き合い、「建ててよかった」と満足していただくことを大切にしています。
丸正渡邊工務所としての“中核”をつくるにあたり、同社の強みをより尖らせるトレンドや外部環境の変化もあるだろう。たとえば、2024年4月から建築物の省エネ性能表示制度が開始され、省エネ性能が高い住宅や建築物の供給促進が本格化する。
渡邊さん: 現状、性能向上リノベーションの依頼は年に1棟あるかないかですが、今後需要は増えてくるであろうなか、大工の技能も求められるため狙い目だと捉えています。新築工事の断熱性能を可視化する際に便利なので、当社ではサーモグラフィカメラ「FLIR」を導入しています。
ANDPAD ONE編集部より
ANDPADでは、2050年のカーボンニュートラル実現に向け、既存の住宅ストックの性能向上改修の普及を目指し、断熱改修の効果を可視化する「ANDPADサーモ」の提供を行なっています。
「ANDPADサーモ」は、サーモグラフィカメラ(※)を使い断熱改修の効果を効果的に可視化できる新機能です。断熱改修による室温の変化を効果的に可視化することができ、断熱改修提案の営業資料にも活用できます。
詳細はこちら:https://andpad.jp/news/20240806(※)ANDPADアプリ内でのサーモグラフィ画像を撮影するには、FLIR ONE® PRO (提供:フリアーシステムズジャパン株式会社、iOS:対応済 / Android USB-C:対応中)が必要です。Webブラウザでの利用においては、フリアーシステムズジャパン株式会社の提供するカメラで撮影したサーモグラフィ画像をアップロードする形となります。
「ANDAPDサーモ」は「ANDPAD」をご契約の皆様に無償にて提供いたします。ご利用を希望される企業の皆さまは、下記よりお問い合わせください。
本件に関する問い合わせ先
株式会社アンドパッド 「ANDPADサーモ」担当
https://andpad.jp/help/inquiry
幅広く事業を広げていくなかで、お客様が求めるものやトレンドといった外部環境も内部環境も変わっていく。その変化に対して遮断するでも迎合するでもなく、自社の中核のなかでバランスをとってチューニングしながらやっていく。丸正渡邊工務所が事業として継続していくことそのものが、「売り手よし、買い手よし、世間よし、作り手よし、地球よし、未来よし」という六方への責任につながっている。
大工の育成が社業の継続につながる
これまで事業ピボットを重ねるなかで、一貫して「大工の会社」として歩んできた同社。2014年には「大工の社員化」に舵を切った。“大工を社員化する=固定費を増やす”ことに他ならないが、これは先の「下請けの不安定さから脱却すべく、元請けにシフト」という方針から一見すると相反することのように思える。社員登用により固定費を増やしてでも大工を社員化すべき、という意思決定の背景には何があったのか。
渡邊さん: 私は経営のテコ入れをしにくるコンサルタントでも、雇われのサラリーマン経営者でもありません。私が描く丸正渡邊工務所の未来像は「大工工務店として続けていく、大工さんたちと一緒にやっていく」こと。大工の減少は10年以上前から言われていたことですが、職業としての大工の魅力をより高めていき、担い手を育成していくことこそが、永く続く大工集団としての当社の役割だと考えています。このように考えるからこそ、大工の社員化と元請けへのシフトは、私のなかでは矛盾していない、どちらも会社を維持継続させていく方向を向いている取り組みなのです。
事業の継続を見据え、これまで一人親方としてやってきた大工を社員として迎え入れることとなった。社員として雇用する以上、働く環境や給与などの待遇面、技術の習得や若手の教育など、大工に求めることも増えたのではないだろうか。
渡邊さん: 意外とそういうものはありませんでしたね。でも、ある意味嬉しい誤算で助かったこともあります。木工事というのは一見すると、大型現場の方が大変な印象があるかもしれませんが、実際は住宅の内部造作のほうが間近で見られるからこそ繊細で手間がかかり、高い技術が求められるのです。中途で入社してくれた大工さん含め、うちの大工さんはもともと木造住宅についても経験豊富な方が多く、社員化してから新たな技術を覚えてもらう必要はありませんでした。とにかく、ベテランの大工さんは強いなと改めて実感しています。
「技術とチームワークで山梨一の大工集団となる」――同社の事業ビジョンだ。この事業ビジョンを実現しているのがベテラン大工の方々だという。
渡邊さん: うちで働いている大工さんは図面を書いたり見積もりを作ったり、現場の管理でも何でもできます。設計事務所やゼネコンからも一目置かれて頼りにされる存在。そういう人材が一番強いんです。住宅もそれ以外も、いろいろな現場を手掛けてきた経験豊富でスキルフルな大工あがりの方が現場監督を担当するというのは、うちの強みとして表に出していけると思っています。
加えて、建築が好きなお客様であればあるほど、大工さんと話したりミリ単位で木を切って組み合わせていくような“大工の仕事”を見たがっている人も多いですね。また、お客様と直接コミュニケーションがとれたり顔が見られるというのは大工さんにとってもメリットは大きくて。下請けがメインだった頃は、手がけた建物の竣工に立ち会うことができなかったので、お施主様の反応が見られないことが残念でもありました。ですが、今は元請けとして直接お客様と話したり完成まで見届けることができるようになり、大工さんにとっての達成感や、やりがいに確実につながっていると思います。
かつて、家づくりには大工の存在が欠かせなかった。棟梁として、予算・原価管理から、営業・発注・施工まで担っていた大工。その仕事は、戦後の住宅不足および高度経済成長に伴い、効率的な家づくりと住宅商品化が進められたことで徐々に変わっていった。ハウスメーカーやパワービルダーの台頭、さらにはプレハブ工法やプレカット化などの登場により大工の手仕事は分業化。
そして日本の人口減少と高齢化という波は、大工不足として住宅産業全体の大きな課題として押し寄せてきた。その結果、家づくりの中心を担っていた大工の役割は変化し、これまで人々を手仕事で魅了してきた大工という職業の存続が危ぶまれる現状を、丸正渡邊工務所はどのように捉えているのだろうか。
そのような流れの中でも、同社は「大工集団」として独自の立ち位置を貫いている。同社には、大工の手仕事を間近で見たがる顧客が来訪し、その期待に応えるための高い技術力を持った大工を抱えている。特に、意匠性の高いデザインや細部にこだわった施工を、大工自身が現場で実現していくことが最大の強み。この職人技術は、素人には真似できない「匠の技」として、丸正渡邊工務所の“中核”とも言い換えられる部分だ。
大工の技術を極めることが同社の事業戦略であり、また創業当時からのDNAを活かした生存戦略ともいえるだろう。時代が変化しても、大工の持つ独自性と価値を前面に押し出し、意匠を実現する職人としての力を磨き続けることが、同社の差別化の要となっている。
後編では、DXを活用し事業・経営判断を行う地盤を固め、業界の逆風に向かいたつ同社の取り組みについて紹介する。
URL | https://marumasa-w.com/ |
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代表者 | 渡邊正博 |
設立 | 1986年 |
本社 | 山梨県甲府市青葉町10-13 |