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1979年の創業以来、日本におけるシステム天井のパイオニア的存在として、首都圏の都市部を中心にさまざまな内装仕上げ工事を手掛ける株式会社藤工。長年新築工事で培った経験と確かな技術力を強みとして、現在はリニューアル工事を主軸に事業を展開している。リニューアル工事の増加に伴い工事管理に課題を感じるようになった同社は、2021年にANDPADを導入した。
今回は、創業メンバーである代表取締役 池田弘孝さん、常務取締役 佐藤剛さんにインタビューを実施。前編では、創業の経緯と同社の強み、今後の展望について伺った。
システム天井のパイオニア的存在として、多くの新築工事を手掛けた
同社は、1979年の創業以来、日本におけるシステム天井のパイオニア的存在としてさまざまな内装仕上げ工事を手掛けてきた。創業者である佐藤和夫さんとともに同社を立ち上げ、和夫さんの右腕として活躍したのが、二代目代表取締役である池田さんだ。
池田さん: 先代は、以前勤めていた天井資材メーカーの先輩でした。その会社では当時日本になかったシステム天井をオーストラリアから輸入・販売をしていましたが、契約条件を満たすことができず輸入先との契約が打ち切りに。このまま日本からシステム天井がなくなってしまうのは勿体無いと思い、天井資材である岩綿板(ロックウール)を製造する建材メーカーに売り込み、われわれもその会社に移籍しました。前職で培ったノウハウを活かして海外のシステム天井を日本の建物に合った仕様に改良を加えて、システム天井を輸入するだけでなく製造もするようになりました。その後、システム天井メーカーとしてさまざまな会社に販売したいという先代の想いに共感し、先代とともに独立して当社を立ち上げました。
ところが、当時はまだシステム天井そのものが業界に知れ渡っているわけではなかったので、しばらくは受注が不安定でした。2、3人で回しているような小さな会社だったため設計事務所などへの営業もままならず、せっかく受注しても施工する職人さんがいない状態。お付き合いのある作業員さんや職人さんを手配して、やり方を教えながら施工していました。
株式会社藤工 代表取締役 池田 弘孝氏
当時は高度経済成長期の余波を受けてビルが次々に建つ時代。池田さんが「新宿に建つビルのほとんど全てに関わった」と表現するように、当時の新築ビルのシステム天井施工において同社が担ってきた役割は大きかった。
池田さん: もともと、先代はものづくりが好きな人で、営業とあわせて部材の開発を担当していました。バブル期はいろいろな種類の天井が出始めていたものの、システム天井のノウハウを持つ会社がほとんどなかったため、ゼネコンさんや設計事務所さんから「これはどうやって吊ったらいいの?」といった相談などにも都度対応していました。
一方、私は工事関係を担当していました。内装工事は全工程のなかでも最後の工事。そのためそれまでの各工程の影響を受けて工期が当初予定よりも短縮しやすく、そのなかでもあらかじめ決まっているオープン日になんとか工事を間に合わせていく必要があります。スピードとあわせて品質も当然求められる。それに応えられる職人の数と品質を担保して、材工支給型で施工できることが当社の強みとなり、ゼネコンさんや設計事務所さんなどからの信頼にも繋がりました。材料単体で販売するよりも、工事も含めた方が利益率は高くなります。会社として安定的な利益を得るために材料だけではなく材工支給型になり、工事を重視する体制にシフトしていきました。
こうして、同社はシステム天井のパイオニア企業として業界内のポジションを確立していった。一次業者がシステム天井なども含めて内装工事を請けて、同社は二次業者として入るケースがほとんどだが、ゼネコンを問わず取引のある一次業者は数十社にのぼる。あらゆるビルのシステム天井を手掛けていることから、過去に施工したビルのテナントの入れ替えで仮に一次業者が変わったとしても、同じビルの内装仕上げ工事に携わっていける体制が構築されているのだという。
佐藤さん: 例えば、一つのビルに対して、ゼネコンなどの元請企業様から一次業者5社に内装工事を発注したとしても、結局はそのうち2/3ほどは当社に仕事がきます。50フロアあれば、30フロアは当社が担当しているというようなこともしばしば。
また、照明においてとある電機メーカーと一緒にシステム天井のタイアップもしており、開発受託兼代理店のような立ち位置の案件もあります。照明を売るには天井をつくる必要があるので、照明が売れれば一緒に当社の天井も売れて、当社が施工するという流れを確立しました。
株式会社藤工 常務取締役 佐藤 剛氏
ゼネコンでキャリアを積んだ先代の次男である佐藤さんが家業に入ったのは2005年のこと。それから僅か1ヶ月後に創業者の和夫さんが急逝し、池田さんが代表取締役に就任した。
佐藤さん: 私自身はゼネコンで5年、その後ゼネコンの子会社のリニューアル部門で5年働いたところで、先代である父から声をかけられて家業に入りました。入社後すぐに父が亡くなってしまいましたが、小学生の頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた池田に社長を引き継いでもらえたので安心でしたね。
池田さん: 先代から社長を引き継ぐかたちとなり、いよいよ材工支給型のシステム天井施工が当社の強みとなっていきました。前述した通り、ビル建築はオープン日が決まっているため、全体工程の帳尻を合わせるために内装工事にしわ寄せがくることも多い仕事。当社では、短期間でお客様の要望する品質を提供できる職人40〜45名ほどと連携しています。
スピードが求められる施工という点で分かりやすい例としては、新築ビルの仮設エレベーターを撤去したあとの穴埋め作業がありますね。大きいビルほどフロア数が増えて、仮設エレベーターの数も増えるので、各フロアの工事が完了したあとにそれがあった場所に空いた穴を埋めていくのも大変です。例えばエレベーターが4基あれば、各フロアの施工が終わったあとに1基ずつ無くしていって、その都度躯体を組んで床を打ち、天井や設備をのせるという過程を繰り返していくので、小さなビルを何度もつくっていくようなイメージですね。天井は全ての業者が関わってくる部分なので、当社の仕事が滞ってしまうと後工程が影響を受ける非常にシビアな仕事です。
システム天井の規格化による新築工事への依存度の低下に伴い、リニューアル工事へとシフト
システム天井のパイオニア企業として多くのビルの新築工事に携わっていた同社だが、時代の流れとともにシステム天井の規格化が進んだことで参入障壁が下がり、競合優位性が失われた。
池田さん: 以前は、天井の仕上材と照明や空調等の設備機器をまとめて組み立てた「ライン型システム天井」というのが主流で、シングルライン工法、ダブルライン工法など、形状により求められる工法もさまざまでした。ところが、時代とともに規格化が進み、今は天井の下地材が格子状に組まれ、その上に仕上材や照明等がパネルごとにはめ込まれている「グリッド型システム天井」が主流になっています。工場ではグリッド型システム天井だけつくればいいので、規格化に伴い材料費や施工費がどんどん下落。発注元である元請企業様などにとってはメリットが大きいですが、二次業者という立場の当社にとっては利益が下がる状態に陥ったのです。
佐藤さん: 20〜30年前は新築工事が中心で、リニューアル工事という考えはありませんでした。しかし、私が入社した頃からは新築工事はグリッド型システム天井だけになって、いろいろな会社が施工できるようになってしまった。上流のところで規格化されたことで、あらゆる部材の施工に対応できる当社の強みが活かせなくなると、価格競争になって新築工事が受注しづらくなり、次第にリニューアル工事を手掛けるようになりました。
すると、ビルの1フロアや小さなテナントさん、設計事務所さんなど、以前とは異なるお客様からの仕事ももらえるように。メーカーやゼネコン問わずあらゆるビルを手掛けてきた当社であれば、東京や横浜、また千葉や埼玉などの都市部に建つビルのシステム天井を熟知しているので、どんな案件にも応えられます。池田は生き字引のような存在なので、「15年前に建ったあのビルの…」という相談があっても、当時の施工状況について記憶しているため、現調しなくてもすぐに回答することができます。
長年培われてきたシステム天井の経験を活かし、現在は新築工事とリニューアル工事の割合は1:9と、ほぼリニューアル工事を請け負うようになった同社。リニューアル工事を手掛けるようになると、同社の新たな強みが見えてきた。
リニューアル工事の場合、天井とあわせて間仕切り壁を取り除く必要があったり、在来天井とシステム天井をつなげる必要があったりと、さまざまな作業が発生する。同社にはそれに対応できる多能工職人がいる分、他社と比べると高い見積りにはなるが、過去の知識や経験から精度の高い見積もりが可能。結果、元請企業が一時的に見積りの安い業者に依頼したとしても、結局は同社に戻ってくることが多いのだという。
佐藤さん: リニューアル工事が増えるにつれて、新築工事の時の担当者がリニューアルも担当するということも多くなりました。そのつながりで、先方の会社内でご紹介していただいて別のビルも担当するということも。
現状、当社の組織体制としては、社員12名構成となっており、番頭としてお客様の窓口となるのは4名。会社ごとに担当分けをしているのですが、お客様によって案件の傾向や動く時期と動かない時期に差があります。それに伴い、社員のバランス的にも時期によって忙しい社員とそうでない社員が出てきてしまい、稼働が平準的になりづらいのが現状です。営業や見積もりなど担当者とお客様との関係性がある上で成り立つ部分もあるので、手の空いている人がヘルプとして入るというのもなかなか難しいところもあります。
ANDPADで業務効率化しながら、藤工の未来に向けたチャレンジをしたい
新築工事からリニューアル工事へと工事内容の比重が変わっていくにつれ、新たな強みや課題が見えてくるように。課題解決のための一つの手段として、同社は2021年にANDPADを導入した。そんな同社は、2024年に45周年を迎える。情報の一元管理が進んだ先にある、第二創業の次なるチャレンジとして同社が取り組んでいきたいことについて伺った。
佐藤さん: 藤工ブランドのシステム天井にチャレンジしてみたいですね。先代社長である父がシステム天井メーカーとして本格始動した矢先に急逝してしまったという経緯もあるので、オンリーワンの天井を藤工としてつくれたら。
池田さん: 当時はグリッド型システム天井が出たばかりの頃で、コンマ何ミリのずれもない精度を出すのが非常に大変でした。品質保証のことまで考えると、そこまでしてやるメリットがありませんでした。満を持してもう一度チャレンジできる基盤は整ってきたと思います。
佐藤さん: 最近は、社長室や重役会議室などをグレードアップして、従来のシステム天井を壊して在来天井や折り上げ天井にするような工事が増えています。しかし、せっかくつくったものをバラしてしまうのでは資材を無駄にしてしまいます。こうしたニーズに対して、既存のシステム天井のメリットを活かした高級システム天井を手掛けてみたいです。
ゼネコンさんなどからも「システム天井=藤工であり、第一人者は池田」と高く評価されています。今はシステム天井を手掛ける会社も増加したことで値段も下がってきているので、池田が守ってきたものをベースに、もう一度当社の付加価値をつけていきたいというのが、私の野望です。
どうしても目の前の業務に忙殺されてしまうので、ANDPADで業務を効率化しながら、藤工としての未来について考える時間を増やしていきたいですね。
システム天井のパイオニア企業としての最盛期を経て、規格化による新築工事の衰退に伴いリニューアル工事へと舵を切った同社。リニューアル工事では、長年培ってきた経験による強みを活かし、独自の地位を築いてきた。新築工事からリニューアル工事へとシフトしたことによって、従来の属人化した運用では抜け漏れなどが発生するようになるなど課題に直面。工事管理の課題を解決するために、同社はANDPADを導入した。デジタルによって日々の業務を効率化させることで、第二創業のチャレンジと向き合っている。
後編では、ANDPADをどのように活用し、業務改善をおこなったのかについて詳しく紹介する。
URL | https://www.kensetumap.com/company/174183/ |
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代表者 | 代表取締役 池田 弘孝 |
設立 | 1979年 |
所在地 | 〒169-0075 東京都新宿区高田馬場4-23-31 |